手段の目的化

本日、マジカ定期セミナーがあったのですが、そのときのはぶさんの説明ですごく印象に残ったフレーズがあります。

「見えただけではだめ。例えば健康診断を受けたからって健康にならないでしょ?」

この健康診断のたとえってすごく良いと思う。自分が最近健康に意識を向けているからかもしれないけど、すごくビビーンときました。
どういうことかというと、業務のもやもやを解決するために行う「見える化」は悪い箇所を指差しで指摘できるようにするためであって、その時点ではまだ解決していません。
これは、つまり健康診断を受けたことで血糖値が高いだの肝機能が低下しているだの分かったからといって、健康にはなっていませんよね?一方でメタボ体質であれば太りすぎであるとか、飲みすぎであるなら肝臓をいたわらなきゃだめよとか、言われることは予想しているわけです。これが「健康になりたいので悪いところをすべて調べてもらってらっしゃい」と奥さんから言われたところで、だんなさんのほうが「あー、うざいなぁ、嫌ごと言われるのいやじゃ。酒飲みてー」という意識であればその診断結果はまったく無意味です(まぁ、命に関わることを通達されれば別でしょうが)。
これは問題を見えるようにすることと、それをどう解決するかということは別のことであると考えることができます。
また、その解決について、問題が発生している現場の人たちが「ぜひ解決したい!」という意識を持たないと改善できないということでもあります。

これって健康診断の場合だと至極当たり前のことすぎて「はぁ?何言うとんのじゃぼけ」と終わってしまうところですが、業務改善の場となると話は変わってきます。
最近ソフトウェア業界もトヨタさんの言っている「見える化」というフレーズが浸透してきていると思いますが、その「見える化」ということが先走りすぎてしまい、逆に現場が混乱しているということがあるのではないでしょうか。
例えば、ソフトウェアかんばんとして、付箋紙にタスクをたくさん書き出すことが目的となったり、お偉いさんがやれ!というから、そのお偉いさんが視察に来るときだけいかにも利用しているかのように振舞うということって結構あることじゃないかな?と思います。
私自身は、最近流行のソフトウェア開発における「見える化」というのは、コミュニケーションを促進したり、管理を比較的簡単にできるようにするためのツールというように考えています。問題が指差しできるようになることで、皆で情報を共有しやすくなったり、議論しやすくなるというために役立つことがたくさんありました。前の会社では新人研修中に私が担当したチームではいろいろな見える化手法を実験的に試行してみました。コミュニケーションを円滑にまわす意味ですごく役立ちました。平鍋さんがよく言われている人 vs 人ではなく、我々 vs 問題という構図にしやすいからです。またかんばんを使った進捗管理ってのも、手順化してやればPMじゃなくても新人だけで管理できるようになります。
一方で、ソフトウェアかんばんやバーンダウンチャートなどのツールがモチベーションをキープしたり、助け合いの心を醸造したりすることはあっても、生産性や品質自体の問題を解決するツールとは言えないのではないか?と考えています。
(逆に生産性や品質自体の問題を解決する見える化の手法があればぜひ教えてほしいです。まじで)
前の会社でも、見える化することで劇的に問題が改善できるというように誤解を受けてしまうケースが多々ありました。
銀の弾丸症候群ってやつですね)

何のための「見える化」をしているのか?見えたらどうしたいのか?が次第に忘れ去れていってしまうんですね。
手段はあくまで手段、何のためにその手段を用いているか常日頃から意識しておかないと間違った道に進んでしまいかねません。

まぁ、こんなえらそうなことを書いておきながら、自分もよく手段が次第に目的化してしまうことがあるので肝に銘じておかなければと思っています。